日本社会 留学生見聞録

おもてなしの国

私は高校を卒業し、2008年に来日し、いま日本で学び続けています。既に7年経過しました。これまで日本で、数多くの体験を重ねてきました。私が日本を好きになった理由は、”おもてなし”です。英語の辞書によれば、”おもてなし”は、”hospitality”,”treatment”,”reception”,”service”とあります。しかし、日本のおもてなしには、もっと深いものがあります。日本でみられる”おもてなし”の姿は、アセアンの国々ではまったく見られないものです。

例えば、コンビニに入ったとします。お店の人は私たちにむかって、必ず”いらっしゃいませ”と言います。お店の人は、私たちを王様のように迎えるのです。たとえ、あなたが何も買わなくても、あるいは、50円か100円の安いものを買うときでさえも。そして、あなたが何かを買い、帰ろうとするときには、彼らは、”ありがとうございました”、と言うのです。ものを買わずに、トイレを借りるときでさえ、王様のように扱ってくれるのです。こんなときは、申し訳ない気持ちになります。

もうひとつの例は、タクシーです。日本ではじめて、タクシーに乗ろうとドアに近づき、ドアがひとりでに開いたときには、びっくりしました。同様に、タクシーを降りようとしたときには、ドアをしめようと手を差しのべたとき、ドアはすでに閉まっていたのです。タクシーの運転手さんは、あなたの大きな荷物をトランクに積めてくれるだけではなく、ナビゲータを使い私たちの目的地を示してくれるのです。日本のタクシーにとってはたぶん、普通のことですが、ほかのどこの国でもまったく考えられないことです。

私たちが、日本の”おもてなし”をはっきりと感じる、最後の例はトイレです。日本のどこに行っても、トイレがタダで使えることと、清潔であるという事実があります。

こうした例以外にも、日本のおもてなしを感じられるところは、たくさんあります。あなたは日本に行き、”おもてなし”を経験することです。私が日本で体験したことは、私にとっては特別なことなのですが、ほんとうなのです。私は、日本でのこうした体験から、多くのことを学びました。私たちは、どの国でも問題や困難を抱えており、私たちが住んでいる文化により、対処が異なるものですが、人間として、それらの問題にあたっていくことを学びました。日本は高い技術をもち、世界有数の国ですが、日本人は、いまなお自らの文化を大切にしているのです。

Mardiansyah Mardis

日本人に接した経験

おそらく、私を含む外国人が日本人を賞賛することは、これが初めてのことではないでしょう。日本に住んで勉強する数年間で、私は日本人に接して、多くの良いことを経験し、学びました。以下に書くことは、私が日本で遭遇したことのほんの一部です。
まずは、「日程を変更する理由はない」ということです。数年前、私が大学の研究生であったころ、私は留学生の友達と、日本語の集中講座の最終試験を、金曜日の朝に受けなければなりませんでした。しかし、金曜日の朝には台風が名古屋に接近していました。先生は、試験を来週まで延期して日程を遅らせるつもりはないと言いました。もし台風が本当に朝に来るのであれば、午後に試験を実施するだけだからです。日程を変更する理由などないのです。
また、日本人はとても正直です。ある日、私は大学の近くの郵便局でお金を下しました。しかし、私はうっかり機械からお金を取るのを忘れてしまいました。それに気づいた瞬間、私は、お金は誰かに取られてしまったに違いない、取り戻すことはできないのだと思いました。幸運にも、郵便局に戻り、誰かが機械に残されたお金を見つけてくれていないか、職員に尋ねることを思いつきました。すると驚くべきことに、日本人の女性が、機械に残されたお金を職員に届けてくれており、私はお金を取り戻すことができたのです。
このような経験を思い出すと、私はいつも笑顔になります。そして、日本で勉強するために奨学金を頂くことができたことに感謝します。

2015年2月5日
VONG Rylida

「カンボジア人留学生が見た日本」

カンボジア人留学生の一人である私から見た日本について述べたいと思います。具体的には、工業技術、教育、そして日本人の性格について、また、自国カンボジアとも比較をしてみたいと思います。
第一に、日本の工業技術と教育についてです。
まず、私は日本に来て、高度に進歩した日本の工業技術に非常に驚いています。新幹線、高層ビル、ロボットなどをはじめ、世界で最も優れた、最先端技術を持っているのは、日本です。そして、驚いたのは自動トイレです。私は、8年前(2006年)にAmerican Field Service (AFS)というプログラムで、日本のホストファミリーの家で一週間ホームステイしたことがあります。夜、トイレに入ったとき、トイレのふたが、突然、開いたのです。その時は本当にびっくりしました。日本にもお化けがいるんだと思いました。しかし、じっくり観察すると、なんと自動トイレだということがわかりました。今でも本当に素晴らしいと思っています。
次に、教育の分野についてです。日本が先進国になるのに最も重要な役割を果たしたのは、日本の優秀な人材だと思います。日本の教育は、世界最高レベルです。何故、日本の教育が優れているのか、私が感じるいくつかの理由を述べたいと思います。
第一に、豊富な資料です。日本では、世界のさまざまな資料や文献などが日本語に翻訳されているため、読みやすくて、研究しやすい。カンボジアでは、外国語ができないと、研究するにはとても大きな壁があります。残念なことに、カンボジア語で書かれた資料は、非常に少ないのです。
第二に、施設の環境です。日本では、都会から離れた地方の学校でもパソコンや教科書などといった環境が十分に整っています。カンボジアでは、田舎の学校に行くと、学習施設は十分に整っていません。ある所では、建物さえもありません。そして、かろうじて屋根があっても、壁がない場合もあるのです。また、教科書も足りず、3人の生徒が一冊の教科書を読むという事例も多いのです。政府は様々な対策を実施していますが、それだけでは不十分です。カンボジアにあるNGOや民間の協力も必要だと思います。
次に、私たちカンボジア人から見た日本人の性格や特徴について述べたいと思います。まず、日本人のいいところです。二つ触れたいと思います。
第一に、私たちカンボジア人が非常に尊敬しているのは、日本人が信号をしっかりと守ることです。『では、カンボジア人は信号を守らないの?』という疑問を感じる方がいるでしょう、確かにカンボジア人も信号を守ります。しかし、カンボジア人が信号を守るのは、昼間だけです。夜になると、信号が赤になっても、車やバイクでも止まりません。日本人は、夜中でも、赤になったら、歩行者も車も止まっています。本当に素晴らしいと思います。
第二に、日本では、どこに行っても、人がたくさん集るところでは、皆が並ぶことです。お店や郵便局や地下鉄などをはじめ、どこでも皆が冷静にずっと並んで順番を待っています。とりわけ、2011年の東日本大震災に見舞われた地域のお店でも、水や食料品が足りないにもかかわらず、日本人は慌てずに、コンビニの前で静かに並んでいました。カンボジアの首都プノンペンの大学にいた私の先生も、授業中にこの話題を取り上げて、『これから、皆さんも日本人からいろいろ学んでください。』というアドバイスをされていました。
次に、大変恐縮ですが、日本人のおかしいと思うところについても触れておきたいと思います。私は、週に2回、大学で法学部の1年生の日本人学生と一緒に講義を受けていました。ある日、図書館で彼に会ったときに、私は、笑顔で『こんにちは』と挨拶しました。ところが、彼は私を無視して別のところを見ていました。その時は本当に驚きました。これはなぜでしょうか。皆様のご意見を聞かせていただきたい気持ちで一杯です。カンボジアでは、同じクラスで、あの人は外国人だということがわかったら、授業以外でも、会ったときに、笑顔で挨拶します。声をかけられて無視することはありません。
なお、日本の独特の文化で、特に面白いと思うことについて述べたいと思います。それは、『乾杯』のときです。日本では、飲み会などでは、最初に『乾杯』をして、そのまま最後まで飲み続けます。しかし、もし日本の方がカンボジア式の飲み会に参加すると、ちょっと疲れるかなと思われます。それは、カンボジアの飲み会では、何回も何回も『乾杯』があるからです。例えば、最初の『乾杯』の後、約10分過ぎたら、また別の参加者が『乾杯』をします。つまり、何回も乾杯をしながら、お酒を飲み続けるのが、カンボジア式の『飲み会』なのです。
以上のように、日本と日本人について感じたことについて述べてきました。最後に少し、カンボジアとの比較をしておきたいと思います。まず、発展の面では、日本は先進国であるため、教育をはじめ、様々な分野が発展しているのに対して、カンボジアは開発途上国であるため、様々な分野が日本よりずっと遅れています。このため、これら分野を発展させることがカンボジア政府と国民にとって大きな課題です。次に、性格については、カンボジア人と日本人は、それぞれ独特の性格を有しています。例えば、既に述べましたように、飲み会のときに、日本人の乾杯は1回だけですが、カンボジア人は何回も乾杯しています。また、冷静に辛抱強く並んで順番を待っているという日本人の慣習は、非常に素晴らしく、ぜひカンボジア人には学んでほしいものです。

2015年1月8日
リム・リーホン(LIM LYHONG)

日本人とドラえもん:マンガ以上のもの

正直に言うと、私はドラえもんが本当に好きである。ドラえもんはとても面白いマンガというだけではなく、日本社会の特徴をそのままあらわしている。ドラえもんは私たちに人間愛、友情、思いやりを教えてくれる。そして全てが可能であり、未来を見通しているのだ。

 

人間愛

最初の疑問である。なぜドラえもんはいつものび太に寄り添っているのだろう。私たちをいつでも喜んで助けてくれる人がいることを思い起こさせてくれる。人間愛の定義は何だろう。ガフは人間愛は物語であり、想像であり、私たちが人生や世界を理解する手助けとなる言葉であると説明している。
人間愛は私たちが会ったこともない人に引き合わせる。私たちが訪れたこともない場所、思ってもみなかった想像の世界に。人々がいかに生き、人生についてどのように考えているのかを示すことによって、人間愛は私たちの人生で何が重要であり、人生をよりよく生きるためには何ができるのかを決めるのに手助けとなるのである。
つながることによって、他人は何が正しくて、何が間違っているのか、その答えを示してくれる。遺産や歴史にとって何が真実であるのかを示してくれる。人間愛は、私たちの家族、地域社会、国家において連帯して取り組む挑戦を示してくる。

 

全ては可能である

ドラえもんは、マンガの中で捉えられたイマジネーションに過ぎない。それは現実ではないが、もし誰かが現実にしたいのであれば、ドラえもんはそれを真実にすることができる。ドラえもんは藤子Fにより描かれた人気マンガのタイトルである。ドラえもんは不思議なポケットをもち、未来の道具で満たされている。ドラえもんは22世紀からやってきた。ドラえもんはのび太一家を助けるために創造されたロボットである。
日本社会の特徴はドラえもんの特徴に似ている。新しいものを創造する精神は日本社会の特筆すべきものである。実際、世界の最も優れた大学と同様に、名古屋大学はつねに人間の生活をサポートする新しい技術を発見している。

 

未来を見通す人

未来を見通す定義はどのようなものだろうか。未来を見通す人とは将来に何が起こり、何がなされるかを鮮明に想像できる人である。それはドラえもんがしばしばのび太を未来に連れて行くような強力な想像力を持つような人である。ドラえもんはのび太にこの仕事が未来の人生に強く影響を与えることを教えたいと考えている。
同じことが日本社会の未来を見通す特徴のように見える。例えば、小さな子供が環境をいかに守るのか教えられている。こうしたことで未来の世代が今の時代と同様に環境や水資源を享受することができるのである。

INDRA KESUMA NASUTION Dec.15,2014

日本に来て私が驚いたこと

留学生として私がはじめて日本(大阪)に降り立たのは、2013年夏のことでした。そこで私は驚きの体験をしました。まず、タクシーのドアが自動で開いたのにはビックリしました。それは、お客さん、運転手さん双方にとってとても便利なものでした。二番目に驚いたのは、日本の人が列車を待って並んでいることです。明らかに彼らは礼儀正しく、規律正しい。混雑の中でも言い争いを見たことがありません。また間違ったことをしているわけでもないのに、日本人はいつも”すみません”と言います。
もっともビックリしたことは、至るところに自動販売機があることです。日本に来る前に、私は日本が高い技術を有していることは聞いていました。しかし、誰でもいたるところで飲み物を飲むことができるなどとは想像すらできませんでした。お金を払えばいつでも飲みものを買うことができるなんて。
日本人について語ることはとても面白いのです。日本人はユニークです。例えば、日本人は同意していないのに、”はい”と言うのです。このことはとても理解ができません。これに加えて、日本人は家族よりも仕事を優先します。私が会った大半の人が、平日に家族と食事をしていないのです。私を指導して下さる先生によれば、金曜日に仕事が終わり、帰宅するときに”楽しい週末を”などとは言わないのは普通のことであり、そして週明けの月曜日に”週末はどうだった”などと誰も尋ねないのです。

Pak Chanlino Dec.02.2014